コンピューター考

電子計算機に最初に触れたのは17歳、高校二年のときだから45年前のことになるが、それが最初だろう。授業中もそれに熱中したが、アンドとオアを組み合わせた論理加算器の回路を作り、できあがったら文化祭に二進法論理加算器として出品した。22歳の頃大学で使っていた富士通のFACOM230-25は、今では工学資料館にお蔵入りし、タイガーの手回し計算機の近くに鎮座している。その後再開発の仕事についた後は、ワードプロセッサーをXYプロッターのようにして使い駅前広場の設計などしていたら、そのうち1980年代になるとPCが登場した。独立して事務所を開いた1985年に出会ったマキントッシュの愛くるしさ、アイコン、マウスには心酔のきわみだったが、まだ実務には使えず、ベイシックをOSとしたマシンを使い始めた。だが、数年も経たないうちに目も鮮やかなポストスクリプトで印字するというプリンターがマックに付いていることを知るに及んで、事務所のマシンをベイシックからマックに全部入れ替えた。
写植の字母を作るデザイナーと職人が完成させた和文字の美しい曲線を数式で再現するのである。その時の感動は大きかったが、歯送りの論理性や職人の手触り感のあるタイプフェースを持つ写植の技術は、編集された文字の美しさにおいてフォントというPC文字よりも勝っていると今でも思っている。フォントというコトバもあまり好きになれていない。