まちづくりと政治

地域の問題や課題に地域の人たちが力を合わせて取り組む「まちづくり」の現場に長年かかわってきて、思うところがいくつかありましたので紹介します。
まちづくりも政治も『無償』があたりまえ
「うちの社長には家業に専念してもらいたい。それで十分に社会のお役に立っている。それ以外にまちづくりに多くの時間を割くのはやめてもらいたい。まわりの人間の負担は増大するばかりだ。コンサルタントのあなたは有償の仕事だが、うちの社長は無償でこんなに仕事している。どうにも納得いかない。」・・・まちづくりリーダーの奥方や従業員からこのように詰問されることが何度もあった。そんな時私は、「仕事には有償の仕事と無償の仕事があって、当人はその両方の仕事でバランスを取っておられるのではないか。」とか、「ご主人のお人好しのところを好きになってください」とか、しどろもどろに応えるのがやっとで、ああ!もっとうまく答えられたらいいのに、と思うことしきりであった。
その後、いろいろなまちづくりリーダーの方とさらに知り合いになるにつれて、彼らの共通したまちづくりの目標が、仕事や家庭を取り巻く『生活環境の回復や改善』にあることがわかってきた。だから、今は、先のまちづくりリーダーの奥方や従業員さんに「職場や家庭を含めて、あなたがたの生活環境を支えるために、ご主人は無償の仕事をしておられるのですよ」ときっぱりと言える、と思う。
さらに、そのようなまちづくりリーダーの仕事ぶりを見るにつけ、この人たちの行為はすなわち市議会議員の仕事に相当するのではないかと思うようになった。したがって、すぐれたまちづくりリーダー50人とコラボすれば市議会議員の定数は10人くらいで可能なのではないか、とも思うようになった。領収書アリで活動費は必要としても、全員『無報酬』であることは言うまでもない。
まちづくりも政治も「合意形成」が胆(キモ)
戦後日本の最大の悲劇は『利益(お金)誘導』以外に合意形成の手立てを持ち合わせなかったことだ。理念や論理やハートがないままに。
 例えば、郊外にバイパスを通すために用地買収が必要となるが、「あなたの土地が値上がりするから用地買収させてください」という説明しかしないので、できた道路の沿線に片っぱしから店舗が張り付くことになり、商業機能が分散し、中心市街地の商店街がシャッター通りになったのが、戦後日本の姿だ。このことは、都市計画制度に責任があるとともに、わが都市(まち)のビジョンに対する地域住民の合意形成がなされなかったことに根本原因がある。少し飛躍するが、教育にしても、エネルギー政策にしても国際問題にしても『利益(お金)誘導』ではない理念や論理やハートで説明し合い、合意形成することが必要なのではないか。
 まちづくりの現場にいると、合意形成の巧みさが事業を推進する原動力になる場面にしばしば出くわす。逆に言えば、合意形成されないと事業がうまく進まない。ただ、全員が同じ考えになることは不可能であり、自分の考えとは異なる結論になることもしばしばあるが、そんな時も決まったことには(自分の考えとは違っていても)従い、進んで協力する。そのような、「民主主義の根本原理」もごく自然に実践されるのがまちづくりの現場である。
まちづくりも政治も「プロジェクト」型の仕事(の作法)が要求される
 プロジェクトとは、①経験したことのない初めての事業であり、②関係者全員が理解できる共通の目標があり、③連鎖的な作業アイテムで成り立っており、④統合作業が必要な仕事のことで、ルーチーンワーク(同じことを繰り返す仕事)と対局にあります。
 すこし、回りくどいですがまちづくりはこの「プロジェクト型の仕事」の要素が強い。
 ここでは、これ以上の説明や対応策は省略しますが、皆さんが今『まちづくり型』で取組んでおられる市長選にもこれがよく当てはまるのでご紹介しておきましょう。
 ①は当然ですが、②は「石原さんを当選させる」という目標があります。③は目標に向けた選挙公約のポスターやフライヤーのポスティングや集会の開催などの作業がありますし、それらの作業が投票日に向けて④統合されることが必要です。
以下は私の経験知ですが、このプロジェクト型の仕事を進めようとすると「不確定条件下における意志決定」という壁に必ずぶつかります。それを乗り超えるためには、1)プランニング(計画立案)2)コーディネーション(対話)3)コンサルティング(指導・助言)の3つの仕事をバランスよく進めることが肝要です。
 最後は蛇足かもしれません。
 力を合わせて石原さんを市長の席に押し上げましょう。

明日の早川倉庫の集会に参加できなくてすみません
2014(平成26)年10月26日
冨士川一裕(都市計画家)

レイヤー

『レイヤー化する世界』佐々木俊尚、『幼年時代坂口恭平をほぼ同時に読了。
近代が到達した世界が、デコレーションケーキの入った化粧箱のような、内と外がハッキリした国民国家の集合する世界だとすれば、未来はインターネットというお皿上に乗ったオープンサンドのような内外のハッキリしないアメーバーのような世界になるだろうというのが佐々木の説。音楽の分野で言えばオープンサンドのパンがアイチューンズ、上に乗ったハムやレタスや卵などの具材がミュージシャンやディレクターやスマートフォンであり、レコード会社はもはや必要とされなくなっている。。レコード会社を国民国家に置き換えると、世界はグーグルやAmazonのような超国籍企業の上に乗った民族や国境、言語、政治、金融、産業、雇用、文化等の多層なレイヤーで覆われたオープンサンドイッチであり、個人はレイヤーを重ねたプリズムの帯のようなものになる。••••••
一方、坂口恭平もレイヤーという言葉をよく口にする。個人の中にある多層なレイヤーの一つとして幼年時代の自分を切り取って忘れないように書き留めたのがこの作品か。

頓写会とんしゃえ

郵便物の投函に行ったついでに頓写を一寸覗くつもりで本妙寺に向かったのだが、ものすごい人の波に乗ってしまい、本廟まで歩いてしまった。


仁王門




本廟では祈祷 南無妙法蓮華経

本廟裏ではロウソクと線香のにおい

おみやげはホウズキ

帰りに見かけたが、市電停留所は人が溢れ、臨時バスの停留所も設けてあった。かつてはわが家の前の道も頓写の時だけは坪井から京町台を越して本妙寺に向かう人で、人通りが多かったのだが、今日はいつもと日と変わらない。

水窪

Facebookと重なるが遠隔地でブログしか見てない友人のために、近況ご報告。
4月の始め、初めての女子孫に会うために、息子の住む浜松市天竜区水窪町というところを訪ねた。息子が配偶者とここに移り住んで1年近くになるが、その様子も見たかった。まず、この地。熊本だと 小国郷 のようなところ。山あいの由緒ある集落で、天竜川の支流、水窪川に沿ってJR飯田線が走っている。飯田まで80kmの長野県との県境だ。息子の配偶者のお母さんの故郷なので、その生家を訪ねたが、築200年の壮大な古民家に縁戚の女性がお一人でお住まいだった。町にある、栃の実やクルミを使った独創的な和菓子を作られているお菓子屋さんに立ち寄ったら、家族みんなが出てこられ、赤ん坊を囲み一しきり話が弾んだ。孫娘は、母親のご両親が現在お住まいの豊橋で出産して、この地に帰って日が経っていなかったので、みなさんにはまだあまりご披露していないようだった。なんでも、町で一年間に生まれる子どもの数が数人なので新生児を見るのが珍らしいとのこと。親子共々町の皆さんに可愛がられているようだった。息子の仕事、静岡県との町おこし応援隊の契約は1年で切れるが、引き続きこの地で暮らし続けるという。知人が起したベンチャー企業も本籍を東京からこの地に移すとのこと。
次は女子孫のこと。娘のほうは二番目も男の子で、1月生まれ。女子孫の 理子 は2月生まれなのだが、どうもこっちのほうが迫力ある。男子孫はおっとりしてる。ロシヤに隕石が降った日に生まれたので、理子は何かしでかしそうだな、と私が煽るので周りから疎んじられている。とまあ、こんな具合に急に孫が3人になり、お爺ぶりがいたについて来た今日この頃です。

子どもの世代・・その子ども達・・・

若い世代、30歳代前半世代の生活冒険家たちの意識と行動に注目している。
私の子ども達の世代である。
そうしたら、彼らに次の世代が生まれ出て身近にかかわることとなった。
娘の二人目の息子Keiが1月に難産の末生まれ一月検診で生育順調とのこと、ホッとしていたところ2月に息子夫婦に娘Rikoが生まれ、急に孫が3人になってしまった。
息子は私の血を引いたのか、昨年東京でのサラリーマン生活に見切りをつけて浜松市天竜区の長野県に近いところに移住した。これから親子3人の山里生活が始まる。「娘でよかったネ。男だったら何を始めるかわからんから。」とは女房や娘の弁だが、「ロシヤに隕石が落ちた日に生れたからRikoも何をしでかすかわからんぞ」というのが私の観測。
いずれにしても、3人の孫達の生活冒険ぶりを見届けることは難しいので、血のつながった息子や血のつながっていない息子、娘達世代の暮らしぶりに注目し続けよう。
 Kei 1月
 Kei 2月
 Riko 2月